夫婦で子育て

アパートの屋根近くの壁に、去年のツバメさんが作った古巣があるのですが、
今年もツガイが帰ってきて、5羽ほどヒナがいて、夫婦そろって毎日忙しなく子育てしています。
ヒナの鳴き声も身体も日増しに大きく力強くなっていって、順調に成長してるようです^^
ツバメさんは偉いなぁ。夫婦でケンカ一つせず一緒に子育て。雨の日も、暑い日も、風の日も、
どんな天気だろうと不平不満も言わず、いつものように飛び回ってエサを捕まえては、
ヒナに食べさせています。ヒナのフンも嫌がらずにクチバシでくわえてポイって捨てて、
巣の衛生をちゃんと守るための掃除もするし、
ヒナを誰かに預けてたまには羽を伸ばして遊びたいなんて思うこともなく、
ただひたすらに親としての役割をしっかり果たし続けて。
ひきかえ人間の一生はいかに趣味や娯楽に恵まれてることか・・・。
でもその甘い時間の数々が、何だかいい事ばかりでもないような気がしてきます。
何だか、ツバメさんの方が偉いんじゃないかなって。人間も勿論、
変化のめまぐるしい生活環境ながら、それなりに精一杯適応しようとしながら頑張って
生きているとは思うのですが、
沢山の野生の生き物達の暮らす場所を奪って、自分達だけに都合のいい空間を築き上げ、
便利さ豊かさに依存しながら楽しく暮らそうとする人間が、
何だか恥ずかしい生き物のようにすら思えてしまいます。
ツバメさんに倣って、私も毎日、不平不満など言う暇もないほど、一心に頑張らなくちゃ。
23 : 49 : 41 | 日常生活・ひとりごと | コメント(0) | page top↑

宇宙船の中で

コメントや拍手などありがとうございます。拙い文章のブログながら、
きちんと読んでくださって、コメントや拍手をいただけるというのは、
私にとって大きな励みですl^^
コメントにはお返事できるのですが、拍手には中々お礼を書く機会がないので、
改めて今まで拍手ボタンを押してくれた方にここでお礼申し上げます(ぺこり)

今日は大雨。自然界にとっては恵みの雨であり、地球における水の循環の一現象ですね。
都市空間ではうっとおしく困りものに感じてしまうかもしれませんが、
人間に不都合と感じるものであっても、自然現象、あるいは自然を否定することはできません。
自然を否定する事は、人間を否定する事だと、手塚治虫さんはエッセイで書かれています。

また、地球を大きな一つの宇宙船に例えた話も、えと、どこで知った話だかど忘れしちゃったんですけど(笑)、
いい例えだなって思います。

私達は、地球という大きな宇宙船に乗って生きている。
人間も、動物も、植物も、あらゆる物質も。
宇宙船の中の物資は限られているけれど、物資をめぐって争えば宇宙船自体が壊れてしまう。
限られた物資だからこそ、大切に、分け合って、繰り返し再利用しながら、全ての生き物に利用できるよう、
船内で循環させていかなければならないんですよね。人間だけが独り占めしていいものではなくて。
誰もが、自分という個体が生き残るために必死だから、時には競争が起きる事もありますが、
自分だけが生き残ったところで、その種族はいずれ滅びてしまいます。
だからこそ、お互いに分け合う事も大事だと思います。

同じ生物の種同士、あるいは違う種同士、様々な係わりをもって、持ちつ持たれつ、宇宙船を維持するために、
共に生き残っていかなければなりませんね。
07 : 55 : 01 | 未分類 | コメント(0) | page top↑

大都市・東京の環境意識

興味を持たれた方も多いのでは無いかと思われる記事ですが、

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080515-00000125-mai-soci

環境意識は高いものの、具体的な行動に踏み出せない。

環境問題は深刻だ。環境を改善しなければならない事は分かってる。でもそんな意識と同時に、
環境問題の改善の為に今の便利で恵まれた生活を手放す・・まではいかなくとも、
制限しなければならなくなる・・・それを意識して恐れているから躊躇してしまうのだと思います。

今の生活水準の高さを維持したままで環境が改善される方法がもしあるならば、
人間にとってはそれがまさに理想的で好都合な事でしょうけれど、
そんな都合の良い方法はおそらく、無理、あるいは不可能なのではないかと思います。
そんな方法があればとっくの昔に見つけ出されて実現できていたでしょう。
もしあったとしても、その場しのぎ、ほんの一時的にしか持たないでしょう。
ですが、それが実現できてない今、より環境汚染が深刻化する今の状態から、
どちらかの為にはどちらかをある程度制限、あるいは
犠牲にしなければならない、それで両方のバランスを取らなければならない、そういう事になります。

今の人間の社会や生活のあり方が、環境に地球規模での負荷をかけてしまっているということに、
私達は気付いているのです。生き物として、気付かずにはいられないのです。

気付いていながら、まだ続けてしまう、
便利さが与えてくれる心地よい快楽を覚え、甘え、すがりついて、手離すことが出来ずに。

こういうような意識って、環境問題だけに限らず、
例えば日本の政治の世界でも、企業でも、個人の日常生活の中でも、
割と普段ありがちな意識なのではないかな、と思います。

頭では分かってる、でも行動に移すとなると頭であれこれ考え込んでしまって、
実際に行動はできてない。頭で行動する姿を想像するだけにとどまり、
それで実際に行動したつもりになってしまったりとか。

例えば「こんなに酷くなる前にもっと早く来ないとダメだ」という、
小さな症状をいつまでもほっといて、かなり進行して生活に支障が出るほどになり、
苦痛に耐え切れなくなって慌てて病院に駆け込んでお医者さんに叱られるケース。

しかし、自然界にはここまで環境悪化を進行させた人間の活動を叱ってくれる
お医者さんはいません。全ては自然体、成り行き任せなのです。

「気付いたときにはもう手遅れだった」では、
「破滅」という結果をもたらすことにしかならないと思います。

意識を持つ事が問題解決への知恵を生み出したり、
行動に繋げていくための第一歩ともいえるかもしれませんが、
魔法使いでも超能力者でもない人類は、
意識を高めるだけでは、強く願うだけでは問題を解決することができません。
頭で考えたことを形にしたり、行動に移したりしてこそ、
考えた事の意味や価値があるものなのかもしれません。

温暖化防止の為に今の便利で豊かな生活を犠牲にしなければならないとなると、
それは困る、それはイヤだ、その気持ちも分かります。

でも、今の便利な豊かな生活ができるためなら、温暖化が進もうが、周りのことなんてどうでもいいのか、
誰かに任せておけばいいのか、自分さえ良ければいい、今さえ良ければいい、

そんな人間を、どう思うでしょうか? 
いえ、自分自身がいつしかそんな人間になっていないだろうか?
行動に移しもしないで、口だけ達者になっていないだろうか?

頭では分かってるはずです。今の便利で豊かな暮らしが様々な環境問題を引き起こしている事を。
便利で豊かな暮らしを全く犠牲にせずに環境問題を解決する事は無理だという事を。


今の私達に必要なもの、それは意識を行動に移すための「勇気」だと思います。
環境の為になるなら、未来の世代の為になるのなら、
自分の便利な生活を犠牲にしてでも構わない、そう言えて行動できる大人の方が、
便利な生活にいつまでも甘えてすがって裕福ぶりを周りに見せ付けているような大人よりも立派だと思います。

環境問題に対して、反自然的な方法で立ち向かっても、徒労に終わるだけでしょう。
正しい方法でなければ、改善はできません。
その為には、正しい知識のもとに正しい行動ができなければならないのだと思います。

・・・そして今まで書いたことの全ては、周りに訴えるものではなく、
私自身に最も言い聞かせなければならないことです。
周りをどうこう言う前に、まず自分から動いていかないと、
いつまでもクチだけ・・いえ、グチだけイッチョマエな人間でいたくないですからね。
22 : 12 : 39 | 紹介 | コメント(0) | page top↑

あ、な〜んだw

前にも書いたけど、ビオトープ管理士試験のセミナー、
どうしても都合がつかず参加できなくて、貴重な講義が聴けない事に加えて
セミナーでしか配布されない環境関連法のテキストが入手できない事も悔やんでましたが、
よく考えたら、通信講座のテキストにしっかり環境関連法の章があって、これでポイントを
抑えていけばいい事に気が付きました。
勿論、主催側の講座やテキストの方がより良く解説してくれるでしょうけれど、
通信講座のテキストでも、それなりにやっていけるでしょう。というか、私にはそれしかありません。

正直、法律関係は苦手なのです。まぁ法律というのはそもそも人が作ったルールであり、
その時代に合わせて臨機応変に部分的に改正されながら、
誰もが平等に平和で安全で幸福に社会で生きていくために出来たものだと思いますが、

簡単に言えば、
こういうことは制限しますよ、こういうことは禁止ですよ、もし守れなかったら罰を与えますよ、
こういうことは特別な理由があればいいですよ、手続きや許可が必要ですよ、・・・

そういったものがほとんどだと思うのですが、私が難しいと感じるのは、
その法律での言葉の言い回し・・と言うんでしょうか、口で説明すれば簡単に理解できる内容でも、
凄く難しい言葉に置き換えて長々と、ぱっと耳にしてもイメージがつかみにくい表現の仕方とでも
いいましょうか^^;
まぁ、法律というものはそこに暮らす人々の集団の上に掲げられる柱のようなものですから、
そういうものでしょうけれど・・・。
難しい言葉が多すぎて、覚えるのが大変で。
好きな人には逆に面白く楽しく覚え甲斐があるのかもしれませんが、苦手な人には、
もう法律の世界をのぞくだけで一気に難語難文の波が押し寄せてくるようで、
すぐドアを閉じてしまいたくなるのです(笑)

・・でも、何か事を成すには、定められた法律に基づいて行わなければいけませんからね、
苦手な分野でも、しっかり向き合って、より一生懸命に努力しなければですね。
それが勉強というものだと思いますし。
今はまだビオトープ論の途中ですが、環境関連法も読みながら併せて進めていこうかと
考えています。進行状況としてはもっとペースを挙げていかないと試験までには
とても間に合いそうにないですが、決して詰め込み型にはならないように、それだけは
気をつけて進めていきます。

・・・法律の文章の難語難文よりも、自分の記事の方が、
無駄に長くて分かりにくい言い回しが多いんじゃないか、というツッコミを自分で入れてみる(汗)
10 : 17 : 48 | 学習状況 | コメント(2) | page top↑

利益還元

前にも何度か同じようなことを書いてきたかもしれませんが、
一応復習のつもりで(ぇ)

「エコ」には、
生態学や生活の場の科学という意味でのエコロジー(ecorogy)と、
経済学や生活の場の管理であるエコノミックス(economics)、
2種類の「エコ」があります。だから、エコについて考えるなら、
いずれか一方だけを考えれば良いというのではなく、
生態系的な面からも、経済的な面からも、両面から捉えて考えていかなければならないものと考えます。
つまり、生態系と経済、両方のバランスが調和されていてこそ、
健全な環境とそこに生活する全ての生き物達の健全な生存が維持されるもの、ともいえるのではないかと思います。

自然を守ることは大切で良いこと、ではありますが、実際問題、
自然保護にむけた活動を経済面から考えたとき、経済界を支える人達にとってはおそらく、
経済面の停滞、あるいは衰退をおそれるかもしれません。
自然保護によって今までのように思うように開発が出来なくなる、経済的な利益が損なわれる、
でもだからといって自然保護をないがしろにするわけにもいかず、
結局自然は保護しようと表向きには良い言葉を投げかけておきながら実際には経済的利益優先で、環境に優しい最新技術での開発とか環境に悪影響を与えない程度の開発などと称しながら
結局経済的利益目的による自然破壊を進めてしまう。そのツケが回ってくるのは次世代以降だろうから、
少なくとも自分が生きてる間は大丈夫、なんて考えなんじゃないでしょうか。
人間は良くも悪くも賢い生き物ですし、私もまた人間ですから、
そんな考えで今の自然環境の地球規模での危機的状態を見てみぬフリをしてを進めようとする
考えの人も少なくないことぐらいは察しがついてしまいます。

最近のニュースの記事で見かけましたが、自然保護団体などの存在を、
今後の更なるグローバル化を進める上で脅威と感じているらしいです、経済で活躍するお偉方にとっては。
別に人間社会を脅かそうとして活動してるわけじゃないはずです、自然保護活動というのは。
逆に環境問題を差し置いて更に自然を破壊しながら経済利益優先でグローバル化を進める
権力者たちのほうが、脅威に感じるぐらいです。

今の経済社会が自然を過剰に利用することで維持されているため、
このままでは自然が経済の為に利用し尽くされてしまい、
自然は失われ、経済も依存すべき自然を失って将来的に共倒れになってしまうことに、
気付いた人たちが必死で呼びかけているのですよ、経済と自然のバランスの大切さを。
自然だけを守ろうとしてるわけじゃない。経済を壊そうとしてるわけじゃない、
自然の恵みで得た経済の利益をこれからは自然に少しずつでも還していくべきではないでしょうか、
人として。

経済面がこれほどまでに発展できたのは、自然の様々な恵み・・様々な自然の資源のおかげですよね。
経済のもたらす豊かさや便利さは、全ては豊かな自然を利用することによって得られたものです。
私達は、沢山の自然の恵みのおかげで、今の生活をしているのです。

自然生態系を利用することで得た今の豊かで便利な経済であるならば、

経済のために自然が沢山利用され、経済は豊かになり、その豊かさに味をしめて、
経済をもっともっと発展させるためにと、欲張った結果、自然は経済の為に過剰に利用されすぎて、
すっかりほころんでしまっている状態なのです。自然を本当に大切なものと思うならば、
今度は自然を沢山利用することで得た経済界での沢山の利益を自然界に還元してやるべきでは
ないかと思うのです。
それが自然に対する恩恵と愛情であり、我々人類はその気持ちを、我々生命の源が誕生した自然に対して、
いえ地球という生態系に対して示すべきではないでしょうか。

それとも、今の経済的利益を手放したくなくて、もっと欲張ろうとするでしょうか。
その気持ちは、残り少ない自然を更に破壊してしまう行動につながり、いつしか自然は利用し尽くされ、
それによって経済も維持や発展に必要な自然を失って、自然と共に崩壊する結果を生み出すのでは
ないでしょうか。

ここで話を最初に戻します。

自然保護の為に経済の利益を自然に還元すること、経済での利益を削ること、
今の豊かさや便利さを自然の保護・再生のために少し犠牲にすること、それらが必要であるなら、
自然保護は経済面にとって不都合で不利益なので良くないことだといえるでしょうか?

経済面にマイナスな影響が出るからといって、自然保護に対して消極的な姿勢でいいでしょうか?
今の利益にすがりついたままでいいでしょうか?

沢山の自然を利用して発展した経済。その自然がピンチであるなら、
今度は経済から自然へと、利益を還元してやらなければならないはずですよね。

それが本当の、自然と経済、両面どちらの環境にとっても優しいエコ活動だと思うのです。
12 : 25 : 11 | 日常生活・ひとりごと | コメント(0) | page top↑
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Starlight mini

プロフィール

夏葉

Author:夏葉
性別:♀
趣味:ゲーム、お絵描き、
音楽鑑賞
好きな漫画:手塚治虫作品
(火の鳥・バンパイヤ・BJ)
好きな本:手塚治虫著
「ガラスの地球を救え」
マイブーム:スマブラX

取得資格:
・漢字検定2級
・生物分類技能検定3級
・こども環境管理士2級

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