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2009-11-11 (Wed) | 日常生活・ひとりごと
古い文献などを調べたわけではないので、自分の推測にすぎませんが、
森がモリといわれるのは、私達人間含めて、地球上のすべての生命の
健全な暮らしを守ってくれる存在だから、という理由からだろうか、と思う。

生命の守(もり)=森であるならば、生命の暮らしを守る存在を、
破壊したり、別のものに作り変えたりして多く失ってしまったならば、
生命は正しく生きることができなくなる=守られること無く衰退、滅亡してしまうかもしれない。

生命を支える存在、生きる為になくてはならない存在、汚れた空気を浄化してくれる、
生命のガードマン=森。
直接的なものばかりでなく、間接的にでもなくてはならない存在ならば、
失ったらどっちみち大変なことになると思う。

大切なものは、失ってみないとわからない。だけどそれじゃ遅すぎる。

本物の森は人間には作れない。 ただ、森が形成されるために必要な条件について、
人間があくまで補助的な存在で関わることはできると思う。
人間主体で自然を作ることはできない。それは自然といわない。
人間が森の形成の為に正しいかかわりができれば、
森もまた、人間含めた生き物達の暮らしの為に、豊かな恵みをもたらしてくれるだろうし、
人間が自分本位で森を傷つけるなら、森もまた、厳しい報いをもたらしてそれを示すと思う。

森もまた、多様な生命の集まりと営みによって形成されるものであり、
人間と森との交流=人間と他の無数の生命達との交流であり、
森の正しい理解=森に存在する全ての生命たちの存在の理解といえる。

単純に、漢字のとおり、森をつくるには木を沢山植えるだけでよい、
という考えだけでは本物の森にはならない、ということになる。
木が沢山あるのは、それだけの木が育つような条件があるからこそ。
そして、様々な生き物達がそこに暮らしを営むことによって、
森は維持され、支えられ、そのお礼のように、生物達に恵みをもたらす。
生命同士の相互作用が、森を健全にし、健全な森の機能によって、
生命たちは森からの恵みを受けて安らいで暮らすことが出来る。

でも実際、見た目だけの森林、も今となっては少なくない。
杉やヒノキだけの人工林を見て豊かな自然と勘違いしてしまう人もいる。
本物の森林ならば、人を花粉症にさせるほど大量の特定の種だけの花粉は飛ばさないし、
本物の森林ならば、樹木以外にも様々な植物、動物、微生物が存在しているはずである。
また、樹木の種類も多様であるはず。
人を含めた生命の健康な生活を守る存在=森(守)であるならば。

森=守だといえるなら、森を失うことは、地球上にせっかく息づいた生命を脅かすことになる。
生命の尊さ、かけがえのなさを理解できる人ならば、
森を壊したり、失ってしまうことがどれほどとんでもないことかが、分かるのではないかと思う。

何故、自然を守るのか=一言では表せない、深いテーマであるが、
何故、森を守るのか、失ってはならないのかについては、大分分かってきたように思う。
たとえアスファルトな道路一本、森の中に通すだけだとしても、
そろそろ大変なことだと気づかなければいけないところまできているのではないかと思う。

何が本当に「大切」で「必要」なことなのかを、目をそらさずに確かめたい。
2009-11-07 (Sat) | ビオトープ管理士・こども環境管理士
・・かなり今回も厳しい結果ですね、特に施工部門^^;
もともと受験者が少なかったのでしょうか。
それにしても厳しいですね・・。
択一問題ではなく、記述問題形式というのもあってでしょうが、
実際に環境に関わる仕事を長くされてる方でも、
1級資格を取るのはそう簡単にいかないものなんですね。
まぁ、1級資格の有無に関わらず、その道で長く
経験を積まれているいうのは素晴らしいと思いますし、
尊敬しますね。いっそ資格にこだわらず、これからもその道で
是非ご活躍されて欲しいとすら思います。
私もいずれそうありたいと思うものですが、
まだまだ、知らないことが多すぎて、恥ずかしい限りです。
せめて自分が暮らす地域の自然が地史的、地理的に
どういった特徴があり、どんな文化や風土があって、
どんな生き物が生息してるかぐらいは把握したいものですが、
好きな生き物の分野ですら、
初めて知る生き物が未だにありますから、
まだまだ、基礎を築く段階に過ぎないのかもしれません。

・・・2級だからといっても甘くないこの資格。
だからこそ、挑戦し甲斐があるんですけどね。
勿論、知識的なことばかりを学ぶだけでなく、
実際にフィールドに出て学ぶことの方が
大事な意味があるようにすら感じます。
むしろ、フィールドでまず実際に活動したり体験してみてこそ、
知識的な面における学習意欲や
吸収力もつくのではないかと思うぐらいです。
自然は最大の教師である、と言われるぐらいですからね。
先生の教えをちゃんと聞かないと、最終的に困るのは自分自身。
自然という教師にとって、人間という教え子が先生に苦労ばかりかける
困ったチャンでは、いずれ先生に見放されて、
教え子が道を見失って彷徨うだけに思います。

以下はまた、つまらない個人的な考え事です。
スルー推奨しときます(笑)

自然の中でこそ人間が育つのであれば、人間が育つ為に必要な環境を、
自分達の都合のいいようにやたらに改変しようとしたり、
環境を征服や支配、克服の対象にしたりする行為が、
それほど好ましいものには感じませんし、
むしろ罰あたりもいいとこのようにすら思います。
地球や太陽、宇宙といった環境が、
もともと人間が作ったものである、というのであれば話は別ですが・・。
人間が作ったものでないものを、人間が下手に手を付けすぎれば、
人間の予想をも超えるほどの取り返しの付かない事態が起きるかと思います。
どんなに頑張ったって、人間は永久に、全知全能にはなれない、
所詮地球上の生物の一種にすぎないと思います。
ロボットにゆだねたって、多分、森羅万象のメカニズムを解明するのは、
多分ムリかと。神様に笑われるかと。
ロボットだって、所詮全知全能でない人間が作った物体ですからね。
別に科学を否定はしませんが、何事も度が過ぎれば間違った方向に進んで、
良くない結果になりかねない、とは思います。
何事も程々に留めておくのが一番、と思っています。
最初はちゃんと気をつけているつもりが、段々と利欲に押されて甘くなり、
その辺のブレーキやコントロールが上手いこと効かなくなってきてしまうのも、
また人間なのかな、と思います。

スリルのあるTVや映画の影響を受けすぎて、
いっそ地球の最後、人類の最後を実際に迎えてみたいとかいう、
怖いもの見たさみたいな人間の行過ぎた好奇心が、
それを実現につなげてしまうのではないかという気すらします。
それは、これからを生きようとする子ども達の人生を考えてやれない、
自分が生きてる間だけ地球が持てばいい、みたいな、
何とも利己主義と感じざるを得ない考え方に繋がるような気もします。

まぁ、私もまた人間ですから、このような自分の考えが間違っていて、
実際にはもっと地球の未来は明るいものであるとするなら、
それはそれでいい事なんですけどねw

ただ、これだけは確かなことだと思うのは、

未来のことは誰にも分からない、その時が実際に訪れてみないことには。

・・だから間違った方向と分かっていても正しいと信じて突き進んでしまうのでしょうか。
最終的にはいい結果になるだろうから、ですかね。
〜だろうからダイジョウブ、その考え方が車の運転ではとても危険なこと、と、学びました。
多分、車の運転だけに限らず、過信による行動は思わぬ問題やアクシデントを招くだろうし、
上手く回避や対応が出来ないで悲劇に見舞われることもあるかもしれません。

私は間違った方向に生かされたくないし、間違った方向性に流されたくもないです。
何が正しくて、何が間違ってるかは、自然という最大の教師が教えてくれます。
しかし、その教師とも中々接する機会が減っていけば、
正しいこと、間違ったことが分からなくなって、それと気づかずに間違ったほうに
進んでいってしまうかもしれません。
残された自然をこれ以上、失いたくないものです。正しい生き方を忘れないためにも。
次世代の人たちが正しい生き方が出来るためにも。
2009-10-21 (Wed) | 日常生活・ひとりごと
どんなに環境に良いエコ製品であっても、製品そのものが優れたエコ製品であっても、
その生産過程の全てにおいて、
環境に配慮されたものでなければ、それは本当のエコ製品とはいえない。

消費者には完成品そのものでしか、判断できないものも少なくない。
製造過程や原料など、社会科見学にでも行かなければ見えない部分は多い。

製造過程、製造方法、原料や資源の搾取方法、量、
製造の為にかかるエネルギー量、
それによって排出される温室効果ガスの量、
生産する量・・

全てのフローにおいて、ちゃんと環境に負荷をかけないような配慮や方法を心がけた上で、
一つのエコ製品を生み出すことができているのであれば、
本質的に少しは納得できるかもしれない。

でも、元々経済至上主義でやってきた国に、どこまでエコロジーについて見直せるか。
本当のエコは、高めすぎた経済力を抑え、環境の為に還元できる勇気でもなければ、
上辺だけのエコに終わると思う。

築き上げた経済を削るぐらいならエコなどしたくない、というならば、
エゴによって、エコノミーもエコロジーも衰えるだけ。

アンバランスな天秤を、両皿に乗せられたオモリだけを使って釣り合うようにするためには、
重いほうの皿から、軽いほうの皿へ、釣り合う量だけオモリを移動させなければならない。

地球環境内でのアンバランスな自然環境と経済社会環境をつりあうようにするためには、
言い換えれば、
自然と調和の取れた、人間社会を築き上げるためには、
自然環境、経済環境のどちら側から、どちら側へ、どれだけの量を移動させたらいいのか。

自然環境からの資源を搾取して経済環境が成り立っているのならば、
搾取過剰によって壊れた自然環境を修復することで釣り合わせる必要があるのではないだろうか。

結局、深刻な危機を誰もが体感できるぐらいまでに感じられないと、
環境問題の深刻さなんて理解できないのだろうか。
でもその時には取り返しのつかないほど、既に手遅れだと思う。
手遅れになってから気づくのでは遅すぎるけれど、
手遅れな状態にでもならないと、気づけないのも人間、なんだろう。
でもそれを分かっていて、手遅れになる前に行動している人たちもいる。
そんな人たちを、そんなことしなくたって大丈夫じゃないかと、なんの根拠も無く、
楽観的に否定する人もいる。
どちらが正しいのかは、取り返しのつかない事態に陥ったときか、
過去に前例があった場合にこそ、判断できる。

正しい理解が出来ている人には、正しい行動が出来る。
間違った理解をしている人には、実際には間違った行動を、
正しいと信じてとってしまう。正しい理解が出来ている人にそれを指摘されても、
認め改めることはできず、間違った理解を正しいものだと主張して、
気づかず間違った行動だけを頑なにまで続けてしまう。

怖いのは、それが間違っていることと知らず、
良かれと思ってやり続けてしまうこと。

だからこそ、正しい理解・・つまり、本質的な理解が必要。

言葉だけを鵜呑みにしたって、本質的な理解が出来たなんていえない。
それだけでなく、自分の目で確かめた、あるいは体験した事実があってこそ、
本質的な理解、正しい真実を見抜く力に繋がるのではないだろうか。
2009-10-04 (Sun) | 日常生活・ひとりごと
多弁だけど行動には起こさない人間より、
寡黙でも着々と自発的に行動できる人間のほうが、
私は好きです。

自分はというと、多弁というには口下手すぎますし、
寡黙というには、一度語りだすと止まらなくなってしまいます。
それが良いのか悪いのかはわかりませんが、
言葉にしないと伝わらないときには沢山の言葉にしてみたいし、
行動した方が早いと思ったときには即行動に移したいし。

理論を完璧に組み上げてから行動するんじゃ、多分遅すぎるし、
それでは理論が完成したことに満足してしまって、行動は他人任せになってしまう。

ある程度の骨組みや構想や理念がまとまっていればいい。
後は行動による経験から学び続けるほうがいい。

経験とは、成功して初めて得られるものとは限らない。
挑戦しようという意欲、行動に移すことの勇気、
失敗すること、失敗を重ねて一つの成功を見出せること。

上手くいくこともいかないことも、とにかくチャレンジしてみて得られるものは全て、
経験、というと思います。いえ、体験、というべきでしょうか。
頭の中で考える時間もまた、経験、にはなりますからね。



人間にだけ色々と都合がよくて、
人間にとって都合の悪いものはどんどん排除して、
人間にだけ安全な、
経済的価値、人間社会的価値だけに捉われた、
あまりに便利で快適な人工空間を求めれば求めるほど、
生命の尊さ大切さを忘れ、
自分の生き方も自分で全うできないような人間になど、
決してなりたくありません。大切なことも忘れたくありません。

たとえ周りがそのような流れを良い事として支えていたとしても。
本質的に正しいことを見極めたい。
つまらなく、高が知れたような、虚ろで濁った目をしていたくありません。

毎日のように降りかかるエゴを拭い去って、
なるべく素朴な人間でありたいです。
自分の重ねた努力で取得した資格の有資格者としても、
この信念はゆがめたくありません。
2009-09-27 (Sun) | ビオトープ管理士・こども環境管理士
久しぶりの更新になってしまいました。
放置していたわけでは・・・って、放置状態なのは事実ですね^^;
ブログは停滞してましたが、あれから努力を怠っていたわけではないですw
何かもう、あれこれ言わずに不言実行でいくべし、と思って・・。

本日、ビオトープ管理士資格試験を受けてきました。

写真の鳥の名前を間違えるというミスが結構恥ずかしかったです^^;
だって、毎日のように近くの川で見かける鳥だったのに、
それを間違えたことがもう・・;;悔しいです(←ザブングルさんの顔で)

モノクロ写真な印刷だったので、背中の灰色も黒っぽくみえて、
顔をちゃんとよく見てませんでした^^;黒いラインはハクセキレイ、
黒地に白いラインがセグロセキレイ、って、バードウォッチングのイベントでも
教わったばかりだったのに・・サービス問題を落とすのは、生物分類技能検定で、
サケの絵をブリと勘違いした以来の悔しさ恥ずかしさですね(笑)

多分、草の写真は、シロツメクサ(クローバー)ではなく、
カタバミの方だと信じてます・・家の敷地内に生えてる葉の形と同じだったので。

自分の中で、『これは当てなきゃダメでしょ』っていう問題を外した代わりに、
迷いに迷って選び直した選択肢の問題が当たってたのが救いです。
でも、生き物に関する問題は外したくなかったな・・;;

まぁ、この間違いを機に、今後ハクセキレイとセグロセキレイを間違えることは一生無いと思います(笑)
・・いやいや実はイワミセキレイってことだったりしてwww
いや、イワミセキレイなんて知らないので、
もしそっちが正解だったらどっちにしても間違いってことですね^^;
多分、目のラインから、ハクセキレイだと思いますが・・・。
後でセキレイについてしっかり調べておきます・・。