自分の哲学を構築するための素材
2008 / 06 / 27 ( Fri )
人と人とが支えあう、それが人という漢字の成り立ちといいますが、
嘘や偽りを持ってしなければ生き残れないような健全とはいえそうもない社会を、
あるいは不透明で汚濁した、疑問だらけの国のしくみを支えてしまっているのは、
直接的でなくても、我々国民なのかもしれません。
あるいは、支えさせられている、支えざるを得ない、そんな気もします。
そんな健全とはいえない社会を支えながら自分達の生活が健全にできるはずもなく、
だからといって切り離して生きていくことも出来ません。
食の安全が信頼できないからといって、疑わしいものは何も買わない、食べない、では
生活していけない、まして食料問題が世界規模で懸念される中、何でもいいから食料を確保しないといけない、
そんな危機が密かに近づいていて、もう何でもいいから食べ物を売ってくれ、なんていわざるを得ない時代に
なっていくかもしれない。だからといって、顧客との信頼関係を裏切りながら
食の安全を無視した流通や販売をいつまでもしていて良いはずもないけれど。
嘘は自分を守る代わりに、周りからの信頼を失う。
それと知っていながら、
信頼を犠牲にしてでも、自分の利益と獲得した地位にしがみつこうとする。
意地になる余り、手段を選ばなくなる。いつしか自分の高度な賢さを周りのためでなく、
自分の為だけに使うようになってしまう。
それが、かつて大きな夢や希望を抱きながら人一倍、必死で勉学に励んだ人の、
成れの果てなのだろうか。
何故、人間はもっと賢くなろうとしたのか。
高い知恵などなければ、もっと気楽に、
悩まずに、環境にも負荷をかけることもなく、他の生き物達のように、
地球にも優しく生きられたかもしれないのに。
自分の得た賢さを 周りの為か、自分の為か、どちらに役立てようとするかが、
その人のにとっての幸か不幸かを決めるものだと思う。
自分の得た知恵や賢さは元々、周りの様々な人から教えてもらった事。
それを自分が学び取っただけのこと。
自分をここまで賢くしてくれた沢山の人たちの為に、感謝し、役立て、
あるいは、次の世代にも自分の持つ知恵を伝えていく事が、当然のこと。
独り占めしていては、いけない。
大人の前では「おりこうさん」
2008 / 06 / 22 ( Sun )
見た目だけで人を判断することは出来ない、
それは大人でも子供でも同じだと思います。
大人でも子供でも、「人」であることに変わりはありません。
優秀な学歴や職歴など、優れた過去の経歴と、
現在のすぐれた人間性とは必ずしも等号で繋ぐ事ができません。
エリート育ちであれ、一流大学の学生であれ、あるいは教授であれ、
大企業の社長であれ、国家を動かす役人や幹部であれ、医者であれ、セレブであれ、
犯罪を犯し、捕まる人がいるのですから。
あるいは逆に、学歴やメンツにこだわらずとも、人知れずして素晴らしい人格を備えて居る人もいるでしょう。
能ある鷹はツメを隠す、のような、いたって謙虚で、自分の能力におごり高ぶることなく、
大きな利益に繋がらなくとも、自分の能力を使うべき所にだけ、正しく使っている、そんな人もまた、
いるとするならば、私は、収入の多少も人間性とはイコールでは繋げない、と考えます。
たとえ周りにはおとなしくて マジメな 良い子の印象に見えても、
その内側で周りの目を気にして本当の情熱や思いが表に出せないことを、
誰にも見えないところで、密かに、自分で閉じ込めて、押し込めて、
苦しんでいるのかもしれません。
その純粋な情熱や思いは、苦しむことによって次第に負の力となって、
そんな自分の思いを閉じ込めさせている周りに対しての憎悪に変わって、
思わぬ凶行を引き起こしてしまうこともあるでしょう。
自分の中で躍動する思いを必死に自分で抑えつけながら、
大人に対して「おりこうさん」な自分を見せ続ける、あるいは大人ぶってみせる、
そんな子供がいるとするならば、とても可哀想に思います。
そんな子供が大人になった時、健全な人間として自立して生活できるのか。
やりたいことも思うだけにに留めて、胸のうちにずっと押し込めたままで
大人になってしまって、それでいいのか。
その答えは、現在、至る所で顕著に表れているのではないかと思います。
可哀想な子供は、可哀想な環境が作り出してしまうもの。
子供は家庭を基盤に、
周囲の環境での様々な体験や身近な地域の様々な人々の心に触れながら、
育っていくもの。
こども環境管理士として活動できる機会が来たとき、
以下の問いを、色んな人たちに、投げかけてみたい。
そのときまでに、これらの問いに、
じゃ、どうしたらいいのか、
の答えを導き出すヒントを見つけ出しておきたい。
そして、未来を担う子ども達の為に、自分に何ができるのかも・・。
子ども達の環境は、子ども達にとって適した環境だと言えますか?
言えないなら、何が適していない原因だと思いますか?
親は子どもに、正しい愛情を与えていますか?いつでも
子供に信頼されるようなお手本であることを意識していますか?
周囲の人たちは、子育てを、親や教育機関だけに任せて、
子供との係わりを疎んじて、面倒がって、避けていませんか?
子供と出会ったら、温かい声を日頃かけてあげていますか?
大規模災害に鍛えられた自然の強さ
2008 / 06 / 15 ( Sun )
地震や洪水といった災害というものも、もともとは、
新たな自然生態系の誕生や、より肥沃な大地を作り出す為のきっかけともなる、
地域の革命的な自然現象であったりします。
人工的空間に例えれば、自然の力による再開発、のような感じにも思えます。
健全な自然であれば、地盤がしっかりしているため、よほどの規模の地震や洪水でもなければ、
多少の被害が出たとしてもも、生態系機能の営みによって、自然と再生・修復されていくものです。
あるいは、より肥沃で豊かな土地や森林が形成されていくものです。
かつて栄えた世界の有名な古代文明の基盤であった豊かな森林や肥沃な大地も、
洪水などの自然災害によってもたらされたものであったりします。
洪水もその地域の自然にとっては恵みをもたらす現象だった、ということです。
人間の生活空間にとっては大きな被害をもたらす災害になるので、
洪水が起こらないようにしっかり堤防や護岸工事による対策がされていますが・・・。
今残されている原生の自然は、かつて起こった様々な大きな自然現象を、
何十億年もの歴史の中で幾度も繰り返し受けてながら、基盤を維持し、
そこから発達して築き上げられた、健全な生態系機能をもつものと考えられます。
ある意味、地震災害という過酷な試練によって鍛え上げられた自然、ともいえます。
それに比べれば、200万年程度の人類の歴史で編み出された人間の技術力など、
原生自然の力にくらべれば、とてもちっぽけで、一時的で、不安定で、持続性の低い、
可愛らしいものにさえ思えてしまうのです。
今ある自然を守らなければ、自然の地盤が、人間活動によるストレスを長く受け続けることで、
小さな災害でも耐えられず脆く崩れやすくなっていってしまうと思います。
都市空間の地盤沈下とか、そういった事による可能性にも思えます。
(科学的根拠のない、個人的推測に過ぎませんが)
今回の東北の地震の場合は、人為のほとんどない原生的な山々ですら
(もしかしたら人工林の可能性もあるかもしれませんが)
大きく崩れている様子から、また問題は別になりますが、
地震の多い日本に残る原生林は、長年の歴史によって地震に強い地盤を形成しているはずですから、
環境への影響の有無にかかわらず、何としても開発の手から守り続けていかなければならないと思います。
例えこのぐらいなら影響の及ばない範囲だろうと思ってした人為的な行為でも、
後に大きく生態系機能を揺るがす結果に繋がるおそれがあるほど、
繊細な機能であることを知っておかなくてはなりません。
自然をおそれ敬う気持ち、自然の恵みに感謝する気持ちをいつでも忘れてはいけない、
自然のもつ美しさや感動を、先代から受け継いできた、自然との共存の形である地域の伝統を、
将来世代・・・今を生きる子ども達の為にも、何度でも呼び起こさなければならない、
それをしなければならないのは大人達なんだと、故・手塚治虫さんはエッセイにて著されていました。
自然を知ること、正しく知ること。
そのために自分自身が今出来ることを考えたり、したりすること。
個人個人で出来るレベルで始めること、それを長く、続けて持続性のあるものにすること、
次の世代に自然を正しく伝えること。
昔を生きた人間達が当たり前にできたことを、今の人間達もできなければいけませんよね。
これからを生きていくためにも、人類の未来の為にも。
地震
2008 / 06 / 14 ( Sat )
今朝、東北地方で大きな地震があったようで、ヘリコプター上空からの、
崖崩れなどの様子がずっとTVで流れています。
土砂崩れで塞がれた道路やせき止められた川などを見ていると、
人間の、自然を改変して作った空間もまた、自然という土台の上にあるものに過ぎないんだな、
と私なんかはつくづく思ってしまいます。どんなに自然を壊しても、
壊れた自然の上に人間やその生活空間が存在していることに変わりはない、ということです。
つまり、いつでも生活の基盤・土台であるのは自然なのです。
地震が起こるたび、それを強く思い知らされます。地震の多い日本はそれを、
他の世界の国々よりもよく知っているはずなのです。
壊れた自然と健全な自然、地震などの災害が起こったとき、安全なのはどちらなのでしょうか。
今日は父の日参観で幼稚園や保育園も登園日であるところが多いと思います。
子ども達への被害が、とても心配です。子ども達は何としても大人が守ってあげなければなりません。
生物多様性基本法
2008 / 06 / 02 ( Mon )
が、衆参両院にて可決、成立したそうです。
以下、(財)日本生態系協会「生物多様性基本法成立に寄せて」より一部抜粋
「人類は生物多様性のもたらす様々な恵みを受けることにより生存していること、
生物多様性は人類の存続基盤である、という事が法律において示された(前文より)」
「ビオトープ・ネットワークの形成、すなわち生物の多様性の保全上重要な地域について、
個別バラバラに保全するのではなく、野生生物の移動に代表されるようそれらの有機的なつながりを
確保しつつ、一体的に保全していくこととされた(第24条より)」
以上抜粋部分
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こういった事も主要なメディアなどでしっかりと報道してもらいたいものですが
開発優先型、経済優先型の現代の日本では、
道路をどうするか、ガソリンをどうするか、原油高騰による影響についてとかだけが、
国の最高機関で優先的に話し合われているような印象を受けます。
まぁ、国民の生活に直接かかわることですから、当然といえばそうなのかもしれませんが、
生活や経済を考えると同時に、その経済や生活を支える土台についても
考えていかなければならないと思います。皮肉なことに、人間の経済や生活などの活動から
排出されたゴミが、経済や生活、生命をも支える基本的な土台に負荷をかけている実態が、
環境問題、という形で様々に現れています。それも地球規模で。
解決の困難な、環境問題を後回しにして、経済の発展に取り組んだところで、
思うような結果が出せるとは思えません。それどころか、後回しにしまくったツケがどんどんたまって、
取り返しの付かない悪循環に陥ってしまうかもしれません。
今の経済を維持していくためには、人類の生存基盤をなくしてありえない、
その人類の生存基盤とは、人類とその経済を支える生物多様性のもたらす恵みである、
ということを、国民一人一人がこの生物多様性基本法という法律によって知り、
生物の大切さを理解して、これからこの法律を活かしていかなくてはならないと思います。
法律はただ存在すればいい、というわけではなく、その国の法の下において暮らす人間が、
個人レベルで、企業レベルで、国家レベルで、法律の力を生かして行動したり取り組むことで、
その力を発揮するものと考えます。
法律の専門家や弁護士や裁判官だけが熟知してれば良いものではないですよね。
法律は社会において人間同士の摩擦が生じたときに判断の基準ともなるルールですが、
法律であれ、憲法であれ、それらもまた、人間が作ったものであり、万全ではありません。
法律に違反しなければ何をしても良いわけでもなければ、法律を守って生きていても、
間違いが起こることもあります。人間である以上、カンペキなものはないのです。
でも、法律の力を上手く生かせれば、より良い自分達の国づくりやまちづくりができるはずです。
それにはやはり、国民一人一人が正しい行動ができるためにも、法律を正しく知ることも大事ですよね。
・・頑張りましょう、自分も(ぇ)