都会って自然よりそんなに素敵なものかしら?
2008 / 03 / 23 ( Sun )
書き終わったところでうっかり間違えたボタンを押してしまい、せっかく書き連ねた記事が
一瞬にして消えてしまいました(汗) これほど空しいことってないですね^^;
わざわざまた同じ事を書き直すのも面倒になってしまいます。
あの時間を返せ〜(←自分が悪い)
書店でハンドブックサイズの植物の図鑑を3冊購入しました。
野草・樹木・薬草のジャンルです。また新たに図鑑が増えてしまいましたが、
自分の為になる、買って損の無いものと判断して、ケチらず思い切りましたw
雑草と呼ばれるものは、人目につけばすぐに引っこ抜かれてしまいますが、
なぜ引っこ抜く必要があるのでしょう。人に害や毒を与えるものでもないし、
生えたことで生活に何かしらの支障が出るわけでもないはずなのに。
草が一本も生えてない地面がそんなに美しいものなのでしょうか。
草一本とも容赦しないほど、手入れが行き届いている事が素晴らしいのでしょうか。
生態学の入門書として有名な「トマトはなぜ赤い」の最後のほうにも書かれてますが、
雑草と呼ばないで、それらはその地域を支える美しい野草なのです。
自然と人間社会の共存をめざすなら、まずどんな生き物にも・・雑草とか、人間にとって都合の悪く、
忌み嫌われがちな虫けらであっても、生命ある生き物全てに大切な役割と価値があるのだ、
ということを認識できなければいけないのです。人間にとって都合のいい生き物だけを
大切にしよう、守ろうという気持ちでは、自然との共存の実現には結びつきませんし、
ただの奇麗事に過ぎないのです。
なぜ、そんなにどこもかしこも都会的な発展や開発を望むのでしょう。
かつて多くの人を感動させた名作映画やアニメや漫画などの作品に、
森の木を切り倒してマンションや道路を作りあげるような内容のストーリーがあったでしょうか。
むしろ、その逆で、マンションや道路の建設計画から美しい自然を守ろうとする内容のストーリーでは
なかったでしょうか。
それらの作品を見て育った今の大人たちは・・当時の子どもだった大人達は、
今の社会をどう思っているのでしょうか。
現実はこういうものだ、今の現実を生きるためには仕方が無い、
という当時の大人達の考えにに結局成す術が無かったのかもしれません。
今の暮らしは過去にもまして便利で豊かになったはずですが、
それならば何故「昔は良かった」と思えるのでしょうか。
今のほうがずっといい暮らしのはずなのに。
人間の精神と身体は、自分の脳が考えていること以上に正直なサインを伝えてきます。
都会化した今の街には、身近な自然が足りなくなってしまっているからではないでしょうか。
美しい自然が見たいなら、都会から離れたところにいけばまだあるのだから、そこにいけばいい。
自然は都会の外にあるもの、都会の中に原っぱや雑木林があるのは都会の景観には相応しくない。
そんな遊んだ土地があるなら、
むしろ都会なのだから駐車場や宅地などを作って経済的に利用した方が有効的で利益になる。
おそらくそんな感じで、次々と自然は消えていったのでしょう。
ですが、そんな都会もかつてはそこにその場所にしかない自然の営みがあったはずです。
確かに都会から少し車や電車で移動すれば、そこには保護されている自然に出会えるでしょう。
でも、そこにしかない自然、その地域ならではの自然というものとの触れ合いはできません。
その地域に住んでいながら、その地域の自然を知らない、または間違った認識をしている・・・。
都会に生える雑草は、かつてその地域にあった自然のカケラなのかもしれません。
最初から都会だった場所なんてどこにもありません。そこにしかない自然との触れ合いができない、
そこにしかない自然が不足している・・あるいはほとんど喪失してしまっている。
日常的に触れ合える自然が無い、それが昔にはあったから、昔は良かったって思えるのでは
ないでしょうか。
公園ですら、外来の園芸種が人間の手で綺麗に植えられて、多目的広場と称した平坦な砂地が
あるだけ。遊具をやたら置けば、安全管理という神経を使う手間が増えるからでしょう。
見た目には綺麗な公園ですが、遊ぶ子どもはまばら。園芸種の植え込みには散歩中のペットが
排泄をするため、園芸種という緑や土にすら触れることもできない。
私達大人はそれで良かったとしても、これからの時代を生きていく子供達は・・?
日常的に自然と触れ合う事ができないまま育った都会っ子たちが、果たして
自然の大切さや生命の尊さのわかる人間になれるのか・・?