道路よりガソリンより車より大切な何か
2008 / 04 / 02 ( Wed )
自動車は車社会と呼ばれるほどに日本の経済や暮らし、産業を発展させ、
支えてきた重要なものですが、
道路やガソリンや車といったものが、人間には便利なものであっても、
元々自然界の有限資源で出来ていると共に、人間社会に良い利益をもたらすと同時に、
環境に様々な悪影響を与えるものであることも知っているはずです。
車社会の発展により失われた、道路よりも車よりもガソリンよりももっと大切な財産。
それに気付いているのです。それを守っていく事に目を向けなければならないのです。
知っていながら、それが出来ないまま、周りに流されるまま。そんな大人でいたくない。
そんな大人の見てみぬふりな態度を未来を担う子供達に見せてばかり、感じさせてばかりでいいのでしょうか。
子どもは、大人が巧みに隠す心を見抜ける不思議な力を持っています。
周囲の目はごまかせても、子どもの目は騙せているようで騙せていません。
子どもの敏感に感じとる力にはかなわないのです。
今までの車社会が温暖化や光化学スモッグなどの影響を与え続けて現在の意識に至るのだから、
車やガソリンや道路についてのあり方考え方を見直すべき時ではないのか、とも思います。
今までどおりのやり方で、もっともっと車を作り、道路を作り、車社会によって更に経済を発展させよう、と
したところで、それを取り巻く環境に問題がある限り、その問題を解決できないかぎり、
ただの悪循環に陥ってしまうのです。
高層マンションを例に挙げてみます。
高層マンションは高ければ高いほど、
その見晴らしは普通では見られないような素晴らしさがあり、
値段もより高価なものがあります。
しかしながら、どんなに立派で高層なマンションでも、
そのマンションの立つ地盤が緩んでしまえば、地盤という支えを失ったマンションに、
その魅力や機能や価値を発揮する事はできないまま、地盤と共に崩れてしまうのです。
つまり、どんなに高度な技術を開発し、人間社会を発展させようとしても、
その人間社会をとりまく環境(地盤である土壌、大気、水、野生生物)に問題がある限り、
一時的な効果に過ぎず、例え一時的にしのげたとしても、
最終的には取り返しのつかないほどの悪い結果が襲ってくることになるのです。
取り返しのつかないほどに問題だらけの環境が、人間社会を包囲しているのです。
だからこそ、環境に目をむけ、環境を改善しない限り、正しい社会の発展は不可能なのです。
もし発展が停滞しているとしたら、それは環境に問題があるからこそ、だと思います。
CO2削減 国であり、削減目標と約束を国際会議で世界の国々に、地球に約束した日本。
今の国の政策は削減目標を達成するために熱心な取組みをしているでしょうか。
今のニュースや報道を見た限りでは、それが感じられません。
それどころか、かつての車社会がもたらした利益の良さにすがりつくように、
目に見える動きはどれも、ガソリンの値下げや、道路をもっと作ろうという動きばかりで、
自動車の利用を今まで以上に促進させるような傾向にすら感じます。
かつてはその考え方で良かったのかもしれませんが、
今はもう、それが良い事ではなくなっているのです。
豊かな文明をもたらしてくれた豊かな環境に、
その文明を揺るがしかねない程の大きな悪影響が出ていて、環境はその危険信号を私達に伝えているのです。
私達はその環境が発するサインを感じ取っているはずです。それも日増しに強く。
それが、今の環境問題に対する意識なのだと思います。
今の人間達が築き上げてきた文明社会を支えきれなくなってきて、その地盤である環境が病んでいるのです。
大気が、水が、生物が、土が・・・地球が、苦しんでいるのです。自分達が築いた社会で暮らす人間達に、
助けを求めているのです。人間達も環境と同じように苦しんでいるのだから、助け合わなければなりません。
自然と人間の共存。言葉だけではなく、それを本当に実現しなければならないのです。
それが、「生命」の歴史を維持していくためにしなければならない事なのです。