今、思うこと、ありのままw
2008 / 04 / 30 ( Wed )
色んなニュースが毎日目に耳に飛び込んできますが、
誰が悪いとか、誰の責任かどうかとか、だけじゃなくて、
なぜ、そんな事が起こるようになったのか?という根本的な原因を考えてみたくなります。
全ての事件や問題は、地球環境問題と繋がっているんじゃないだろうか?
問題のある環境で、人間も生き物も、健全・健常で快適な暮らしがいつまでもやっていけるのか?
って考えたら、
「それでも何とか適応してやっていけるだろうけれど、ほんの一時的にしか持ちこたえられない程度だと思う」
という答えが浮かんできます。
そして、一時的な維持の限界がくると、またすぐ新しい対策で上塗りします。
で、それも一時的にしか持たなくて。
一時的な対策の連続によって必死の維持が日々なされている現状を感じます。
ペンキを塗って、時間と共に色あせて、またペンキを塗って、落書きされて、またペンキを塗って・・。
その積み重ねでペンキの厚塗りが続き、ペンキの層が分厚くなって、その重さである日突然、
ヒビが入って音を立てて崩れ落ちる、みたいな。
かつての環境問題対策もそんなところ、ありますよね。いえ、もしかしたら今も続いているのかもしれませんが。
大量のゴミが出たとき、それを埋め立てて汚いものを目に見えないようにして環境を綺麗にするという
対策がかつてとられていましたが、その後、埋め立てたゴミからの有害物質が海に溶け出して流れ込むという、
更に困難な問題が発生してしまう、とか。
自然のしくみを無視した環境対策は、対策どころか新たに、しかもより酷い環境汚染を引き起こす、
ということは過去の前例を見てもこれでもかというほどに思い知らされます。
それでもなお、今まで築き上げてきた文明を維持する、更に高めることだけに躍起になって、
意地を通すかのように、今もなお、過去の過ちを省みずに同じような環境悪化になりかねない環境対策というものが続けられているのではないかと思います。もし、正しい対策がなされているなら、
環境は以前よりも改善傾向にあるという発表がとっくに出ているはずだと思うからです。
ですが、まるでブームのようにエコに関する番組の放送やグッズが流通し、
楽しくエコをやりましょう、といわんばかりの雰囲気で明るくエコを呼びかけている現状。
個人個人の意識を高めるためには、それもまたいいかもしれません。でも、
明るく楽しく気軽にブーム気分で取り組めばいいほど薄っぺらい問題ではないですよね。
難しいから環境の専門家や研究者にでも任せておいて、自分は自分に出来る程度の
エコを楽しみながら贅沢をもっともっと満喫するんだ〜♪ ・・じゃ多分ダメだと思います。
エコは経済の他に、自分の生活を考える・管理する学でもあるのです。
だから、エコロジーは、自分の生活を考えること・・つまり、生活している全ての人が
考えるべきものなのです。
エコロジー(生活科学・生態学)とエコノミック(経済学)、いずれもエコが付くのです。
かつての人々は、皆、貧しくとも環境に大きな負荷をかけない経済の中で、
環境に優しい生活をしてこれたのに、今の人たちはそれが出来ない、
恥ずかしいですよね。あらゆる苦労を嫌がり、面倒がって、
便利さと快適さを求めた結果が今の様々な事件を生み出している、とも思えます。
贅沢な豪邸やゴージャスな部屋紹介などの番組は、かつては憧れながら見てたものですが、
今では目を背けたくなるほどで、チャンネルを変えてしまうようになりました。
一面のチューリップ畑やコスモス畑も、かつては綺麗な光景に見えましたが、
これは自然じゃない、かつてそこにあった植生を取り払って人間が綺麗な花を咲かせる園芸種を
植えまくってるだけなんだ、と思うと、興ざめしてしまいました。
チューリップもパンジーも、花は綺麗ですが、虫を呼び寄せる香りはなく、
人間に簡単に触られやすい花なのです。更に綺麗さを求め、コストをかけて品種改良して、
より見た目に鮮やかな花になり、人の目を楽しませるどころか、
綺麗にし過ぎて逆に人のイタズラのターゲットにされてしまう始末です。
もしヒマワリや薔薇だったら、刺されたら痛いハチ達にしっぺ返しを食らってたでしょうからねw
花は健気に咲くからこそ美しく、見た目により鮮やかで派手だからいい、というものではないですね。
私はタンポポやレンゲの花の方が好きです。人間が時間とコストをかけて作り上げた
お花畑より、ずっと気持ちが潤うのです。
綺麗な花にはトゲがある、といいますが、
チューリップやパンジーに関しては綺麗な上にトゲのない、
人間にとって観賞するのに理想的であり、
また、気軽に弄れる格好のターゲットにもされてしまいます。
チューリップやパンジーのような綺麗ながらトゲのない花は、皮肉にも
お金をかけて改良した側に痛いトゲを向けてしまうようです。
支離滅裂ですみません。
でも、ありのままに書き綴った中から、今後に役立つヒントのような原石が隠れてたりしたらいいなと(何)
自然を無視したやり方は続かない、いつか息切れして破綻する、ほんとうにそういう現場が現れてきましたね。
事実をしっかり見つめる、知ること。まずここから私も参加しようと思っています。
私の住んでいる東京多摩地域は、どうなのか?って。ゴミをどう処分しているのか、日の出町の山が削られてゴミ処分場に変化したのを目撃しました。いつかバイクでツーリング途中休んだ木陰も消えて、樹のないコンクリートの風景・・・
でも、金曜日、不燃ゴミを袋いっぱいに出している私。このゴミをしらべて、出さないようにするにはどうすればいいか、今日は考えてみます。
ヒント、風をありがとう!です
rainさんコメントありがとうございます。
こちらこそ、rainさんのコメントを読んで、
新たに色々と考えさせられました。
私達が日頃出しているゴミ。最近では環境を考えて
分別されるようになってきましたが、
ちゃんと分別して出していたとしても、
それが環境に負荷になってないかどうかは、
ゴミの流れを最後まで自分の目で確かめないことには分からないところが怖いんですよね。
ちゃんと分別して出していても、
リサイクルされずに埋め立てられてるのではないか、
ゴミの燃焼によって大気中に汚染物質や二酸化炭素を排出させ続けてる事に変わりはないのではないか、とか。
ゴミのリサイクル技術は、
自然のしくみを正しく知った上で、
その健全な自然の循環系に倣った、
重要な循環系の一部として機能できれば、ゴミ問題解決につながるはずだと考えています。
詳しくは新しい記事でまた色々と
書きたいと思います^^
長々としたまとまりのないお見苦しい記事ながら、
読んでくださって本当にありがとうございました^^