リサイクルの重要性
2008 / 05 / 02 ( Fri )
前の記事にコメント下さった方のコメントから、
リサイクルの重要性・必要性について、自分なりに改めてじっくり考えてみました。
生態学テキストで学習した、生態学で自然のしくみの基礎がきちんとわかっていれば、
理に適った健全な知恵が自然体で生まれてくるはずですし。
環境問題・ゴミ問題対策と聞くとまず、リサイクル(再利用)技術が浮かんでくる方も多いと思います。
リサイクルは確かに有効な手段ではありますが、
リサイクルをするにもその過程でエネルギーを消費したり割に合わないコストがかかったり、
特にリサイクル過程でのエネルギー消費には、石油資源の利用に依存するとなれば、
それが温暖化につながる可能性もあって、リサイクルが環境に必ずしも良い技術、
とは評価しきれないのも現状のようです。
でもだからといって、リサイクルをしなければゴミは増え続けてモノに溢れた日本はゴミ大国、
あるいはゴミの埋まった土壌で暮らす国となってしまうでしょう。
(いえ、土壌すらも至る所アスファルトやコンクリートで埋めつくされてしまうかもしれませんが・・。)
リサイクルは、現段階ではコスト面や生産過程でのエネルギー消費面での不安はあるものの、
ゴミ対策として、一刻も早くこの人間社会の中で、
「正常に確実に機能させなければならない廃棄物の分解・再生産過程」であると、
私個人は改めて考えます。
仮に「ゴミ」を「再利用できない、分解できない、廃棄物のままのモノ」とするなら、
健常な自然の中では、「ゴミ」と呼ばれるものが出ません。
健全な自然生態系の中では、それを維持するシステムとして、
光合成をして生命に不可欠な酸素を作り出す生産者(緑色植物)を一次消費者(草食動物)が食べ、
二次消費者以降(肉食動物)がそれぞれ、前の段階の消費者を食べ・・・。
各次消費者の出した排泄物は土壌の微生物(分解者)に有機物に分解されて、
それを栄養分として新しい生産者が生まれ、その生産者を消費者が食べて・・・と繰り返す、
「食物連鎖」という循環系が成り立っています。
これを踏まえ、私達人間という生物だけの、人間が築き上げた物質的な社会の中ではどうでしょうか。
便利な社会や生活の為に生産されるモノの流れに、
もし自然界のような生産者と消費者の繋がりによる循環系システムが成り立っているなら、
私達の社会は自然のしくみに倣った、「健全な社会」であるといえるでしょう。
そして健全な社会であれば、周りの環境も健全であるといえるはずですが・・・?
企業(生産者)が生産したモノを消費者が購入して、それを使用(消費)して、いつかは廃棄物となります。
問題は、その廃棄物が分解者によって分解されて、新たに生産者によって再利用されているか、
というところと考えられるのではないでしょうか。
実際は、廃棄物は分解・再利用の部分があまりに弱く、廃棄物の処理能力が至らぬために、「ゴミ」となって
自然環境に負荷をかけます。ゴミが増えれば増えるほど、環境は汚れていきます。
なんとしても、自然のしくみに倣って、今までの人工生産物の循環系システムに欠けていた、
廃棄物の分解と再生産・再利用という機能=リサイクルを確立させなければならない事に気が付きます。
そうでなければ、廃棄物は只のゴミとなってしまうのです。
自然界では、排泄物もちゃんと価値と役割のある、不可欠な存在ですから、
私達の社会における廃棄物の扱い方についても、それに倣わなければなりません。
自然の理に適った、自然に倣った生き方が出来なければ、
人間は生き物としての正しい生き方を見失い、
ここまで築いた文明社会、他の生物、自然環境、未来もろとも崩れ落ちてしまうでしょう。
無限にあるように思える有限資源を搾取して、生産・消費するだけで、
廃棄物は汚いもので利用価値が無いので燃やして消してしまえばいい、
という考えのもとに、今までの文明社会の歴史があったような気がしてなりません。
だからこそ、リサイクルが注目されるわけですよね。
リサイクル・システムが廃棄物の量に対応できるほど機能できれば、
自然生態系の食物連鎖のように、人間社会の様々なモノもまた、
循環システムの中で繰り返し利用されて、ゴミによる環境汚染や
天然資源の搾取の節約やそれによる自然破壊の防止にも繋がると考えられますよね。
でも現実にはリサイクル技術は進展してはいるものの、コスト面などの諸問題もあってか、
循環系としてきちんと成立できるほど普及してなくて、
再利用されずに廃棄物のまま埋め立てられてしまうゴミの方が未だに多いのが現状に感じます。
廃棄物を分解してくれる分解者、再利用してくれる生産者的な存在が、
私達の社会に必要不可欠ながら、まだ全然足りず、分解されない廃棄物のまま=ゴミは増え続け、
いくら便利で物質的に豊かであっても段々と健全な社会と感じられなくなり、
不安をあおるようにゴミの増加が環境悪化を促進させ、
築き上げた文明社会は生存の危機に関わるほど、
汚れ果てていってしまう・・・といっても過言ではない気がしてしまうのです。
自分達が出したゴミは自分達の中で処理し、
他の生き物が暮らす環境やその生き物達には迷惑をかけない、
という道徳的な意識がありながら、便利な暮らしの心地よい誘惑で、
自分もまた間接的に迷惑をかけ続けている事に、
ゴミを出している人、つまり今の生活をしている人、誰もが改めて気付かなければならないでしょう。
自分が購入したあらゆるモノはどんなに新しいものであっても、高価でも、
長持ちするものであっても、いつかは必ず廃棄物として出さなければならない日がやってきます。
モノを購入するときは、自分は「消費者」であることを改めて自覚したいですね。
モノを手に入れる、という事は、モノを消費するということ。
モノを消費するということは、それをいつか廃棄物として外に出さなければいけないということ。
これ以上、人間という生き物だけの都合で沢山の種類と数の野生の生物の棲み場を奪い、
ゴミ処分場の建設がされないようにするには、私達の生存基盤である自然環境を守るためには、
人間社会での生産・消費・分解・(廃棄物の)再生産の一つの循環系をきちんと成立させなければならないでしょう。
成立しない限り、自然環境の汚染は悪化するだけでしょうし、私達の生存基盤が汚染されれば、
人間には便利だけれど、汚染された環境の中で、不健全な暮らしをしなければならなくなります。
地球という一つの生態系の中での生命の歴史を振り返ると、
生き物は自分達の存在によって変化する環境に常に適応するため進化をしていくものですが、
もし適応しきれないほど環境の汚染が進めば、
進化どころか生命の存続にかかわる危機を迎えることになります。
自分達の行いは、自分達に帰ってくる・・・因果応報ですよね。
長くなりましたが、
最後にこのようなことを考えるきっかけを下さった前の記事にコメント下さったrainさんへ感謝します^^