大都市・東京の環境意識
2008 / 05 / 16 ( Fri )
興味を持たれた方も多いのでは無いかと思われる記事ですが、
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080515-00000125-mai-soci
環境意識は高いものの、具体的な行動に踏み出せない。
環境問題は深刻だ。環境を改善しなければならない事は分かってる。でもそんな意識と同時に、
環境問題の改善の為に今の便利で恵まれた生活を手放す・・まではいかなくとも、
制限しなければならなくなる・・・それを意識して恐れているから躊躇してしまうのだと思います。
今の生活水準の高さを維持したままで環境が改善される方法がもしあるならば、
人間にとってはそれがまさに理想的で好都合な事でしょうけれど、
そんな都合の良い方法はおそらく、無理、あるいは不可能なのではないかと思います。
そんな方法があればとっくの昔に見つけ出されて実現できていたでしょう。
もしあったとしても、その場しのぎ、ほんの一時的にしか持たないでしょう。
ですが、それが実現できてない今、より環境汚染が深刻化する今の状態から、
どちらかの為にはどちらかをある程度制限、あるいは
犠牲にしなければならない、それで両方のバランスを取らなければならない、そういう事になります。
今の人間の社会や生活のあり方が、環境に地球規模での負荷をかけてしまっているということに、
私達は気付いているのです。生き物として、気付かずにはいられないのです。
気付いていながら、まだ続けてしまう、
便利さが与えてくれる心地よい快楽を覚え、甘え、すがりついて、手離すことが出来ずに。
こういうような意識って、環境問題だけに限らず、
例えば日本の政治の世界でも、企業でも、個人の日常生活の中でも、
割と普段ありがちな意識なのではないかな、と思います。
頭では分かってる、でも行動に移すとなると頭であれこれ考え込んでしまって、
実際に行動はできてない。頭で行動する姿を想像するだけにとどまり、
それで実際に行動したつもりになってしまったりとか。
例えば「こんなに酷くなる前にもっと早く来ないとダメだ」という、
小さな症状をいつまでもほっといて、かなり進行して生活に支障が出るほどになり、
苦痛に耐え切れなくなって慌てて病院に駆け込んでお医者さんに叱られるケース。
しかし、自然界にはここまで環境悪化を進行させた人間の活動を叱ってくれる
お医者さんはいません。全ては自然体、成り行き任せなのです。
「気付いたときにはもう手遅れだった」では、
「破滅」という結果をもたらすことにしかならないと思います。
意識を持つ事が問題解決への知恵を生み出したり、
行動に繋げていくための第一歩ともいえるかもしれませんが、
魔法使いでも超能力者でもない人類は、
意識を高めるだけでは、強く願うだけでは問題を解決することができません。
頭で考えたことを形にしたり、行動に移したりしてこそ、
考えた事の意味や価値があるものなのかもしれません。
温暖化防止の為に今の便利で豊かな生活を犠牲にしなければならないとなると、
それは困る、それはイヤだ、その気持ちも分かります。
でも、今の便利な豊かな生活ができるためなら、温暖化が進もうが、周りのことなんてどうでもいいのか、
誰かに任せておけばいいのか、自分さえ良ければいい、今さえ良ければいい、
そんな人間を、どう思うでしょうか?
いえ、自分自身がいつしかそんな人間になっていないだろうか?
行動に移しもしないで、口だけ達者になっていないだろうか?
頭では分かってるはずです。今の便利で豊かな暮らしが様々な環境問題を引き起こしている事を。
便利で豊かな暮らしを全く犠牲にせずに環境問題を解決する事は無理だという事を。
今の私達に必要なもの、それは意識を行動に移すための「勇気」だと思います。
環境の為になるなら、未来の世代の為になるのなら、
自分の便利な生活を犠牲にしてでも構わない、そう言えて行動できる大人の方が、
便利な生活にいつまでも甘えてすがって裕福ぶりを周りに見せ付けているような大人よりも立派だと思います。
環境問題に対して、反自然的な方法で立ち向かっても、徒労に終わるだけでしょう。
正しい方法でなければ、改善はできません。
その為には、正しい知識のもとに正しい行動ができなければならないのだと思います。
・・・そして今まで書いたことの全ては、周りに訴えるものではなく、
私自身に最も言い聞かせなければならないことです。
周りをどうこう言う前に、まず自分から動いていかないと、
いつまでもクチだけ・・いえ、グチだけイッチョマエな人間でいたくないですからね。