判定と選定
2008 / 07 / 20 ( Sun )
ビオトープ関連の勉強で、現在、環境に関する法律の、
『環境影響評価法』について学習しているところです。
最近では、
諫早湾干拓事業での水門の開門の際にも環境アセスを行うという国の動きが注目されていますが、
環境影響評価=環境アセスメントというのは、環境に大きな影響を及ぼす可能性のある
大規模な開発事業に対して、環境保全上望ましい事業計画にしていくために地域住民等の意見を
聴きながら計画を修正していくしくみ、だそうです。
例えば、道路や鉄道、ダム、発電所、埋立や干拓、飛行場、宅地や工業団地の開発などが当てはまります。
また、そういった開発事業でも、規模の大きさによって、第1種事業、第2種事業と分けられます。
私が問題集などをやっていてよく引っかかるのは、スクリーニングとスコーピングの違いです。
一番基本的なところなんですけど、何故か引っかかってしまいます;
復習兼ねて書きますが、スクリーニング=判定、スコーピング=選定 であって、
スクリーニングというのは、第2種事業(第1種事業の規模に準ずる事業)に対して、
環境アセスを行うかどうかを個別に判定することをいいます。
スコーピングは、簡単に言えば環境アセスの調査項目や手法を絞り込むことです。
こうして書けば何てことない区別があるんですが、問題として出されると、
あれ、どっちだったっけ、と戸惑ってしまいます^^;
もはや、環境の問題というより、言語の問題ですねw
ここは日本なんだから、日本語をわざわざカタカナで表さなくたっていいのに・・。
そんなカタカナの違いを問題を出さなくたっていいのに、と、変にヘリクツになってしまいます(笑)
*ちなみに、港湾計画については、環境アセスではなくて、港湾環境アセスメントという、
事業ではなく、計画についての環境アセスが行われ、
スクリーニングやスコーピングは行われません。
読書感想文は自分の言葉と書き方で、自分の感じたままに。
2008 / 07 / 20 ( Sun )
手塚治虫著「ガラスの地球を救え」は、
「教師が生徒に読ませたい本」としても取り上げられているようですが、
これは、子ども達を取り巻く大人達、つまり「大人になった子供たち」も、
もし本当に地球規模の危機について真剣に考えたい時には一度、読んでみる価値は
あると思います。
本当は、今後も、文章を一部抜粋しながら、自然保護についての考えを構築していこうかと
考えていたのですが、これから夏休み、ということで、この本を夏休みの読書感想文用の
課題図書として選んだ学校や人もいる事を考えて、
ここでは個人的な考えや感想はしばらく控えようと思います。
まぁ、私のこの文章力の拙さをコピペするような人はいないとは思いますが、
万が一、自分のコメントを他人の感想に利用されるような事があると、多分、私より、
私の文章を利用した人の方が恥をかくことになると思うので(笑)、その防止も含めて、です。
インターネットという環境のおかげで、卒論から宿題の感想文まで、簡単にネット上の記事をコピーして
提出する、といった問題が起きているようです。
提出期限までに間に合わせる事も大事ですが、間に合いさえすればどんな手段を用いてもいい、
ってものでもないですね。
楽で、便利だけれど、自分の為にはならない、
それが便利な道具がもたらす、人間への弊害、なのかもしれません。
こうして課題をいつでも周りに依存しながら楽に乗り越えてばかりきた人が、
大人になってからも同じ手で乗り越えていけるとは思いません。
思うようにいかなくなって、後悔先に立たず、生き詰ってしまうでしょう。
期限までに、自分で課題をこなす、というのは、大変なものですが、
それでも頑張ってこなすことが、自分にとって、
本当の、身に付く生きるための力となり、糧となるものです。
不便で面倒な思いをしてでも、自分の力で頑張って欲しいです。
そこに、本当の意味があるのだと思います。
「あの時、とても大変だったけど、ズルをしないで自分の力で頑張ってよかった、」
と思える未来人になって欲しいです。
ズルは自分を自分で楽に、甘くさせながら、自分でダメにしてしまうものです。
豊かな自然環境の中で育った少年
2008 / 07 / 15 ( Tue )
私の尊敬する人物の一人に手塚治虫さんがありますが、
ブログのプロフィールや記事でも紹介したエッセイ本「ガラスの地球を救え」は、
私にとって、今まで出会った様々な本の中でも一番に手元において置きたい本です。
手塚治虫さんといえば、漫画の神とまで呼ばれるお方ですが、
有名な漫画作品を次々と生み出していた当時は漫画家というのは、他の職に比べて地位的に随分と
見下されていたようで、今となっては有名な未来社会や科学の進化をテーマにした作品でさえ、
荒唐無稽と随分な批判の嵐を周りから受けながら、それでも書き続けていらっしゃったようです。
そんな周囲の厳しい批判をも乗り切って、彼の当時書いた作品の数々は、今でも多くの子ども達から
大人達に親しまれるようになり、漫画家としての地位や、漫画そのものも、受け入れられるようになったようです。
彼は、豊かな自然環境に恵まれた土地で育ったようで、宝塚の記念館に展示されている、
昆虫や魚などのスケッチは、恐ろしいほどの観察力が無ければ描けないようなものでした。
彼はエッセイの中で、「自然がぼくに漫画を書かせた」という表現をしています。
彼自身の中にある自然が土壌となって、小さな虫から無限の宇宙に至るまでの
想像力を育んでくれている、といいます。
「(幼い頃の)豊かな自然の記憶が、仕事に追いまくられる都市生活者となったぼくを、
身体の奥の湧き水のように潤してくれているのでしょう」
(手塚治虫著・「ガラスの地球を救え」 より一部抜粋・引用)
身近な自然の中で育った少年は、大人になると、その自然によって育まれた心で、
惨い戦争の渦や、漫画に対する周りの教育者や保護者からの批判の嵐など、
厳しい世間の波をも乗り越えていったのです。
では彼とは逆に、もし身近な自然との体験に乏しいまま育っていった、
豊かな自然の記憶のほとんど無い子供がいたとして、
その子が大人になった時、どんな過去の記憶が、
世間の荒波に揉まれた自分の心を潤してくれるのでしょう。
そしてそれは、自然体験不足を補いきれるような、
代わりになれるのでしょうか。幼児期に身近な自然での体験を十分にせずして、
将来地球の環境問題を正しく受け止め、
正しい問題解決の知恵を見出せるような未来の大人になれるのでしょうか。
「故郷」という言葉を聞いてまず最初にイメージするのは、私の場合は、
有名な曲「ふる里」や「春の小川」のような、
ウサギの棲む山やスミレやレンゲの花が咲き乱れる岸辺のある、フナが取れるような小川だったり。
都市の中で生まれ、育った子ども達は、将来、自分の「故郷」はそんな曲とは違ったものに
なるかもしれませんね。
ふる里とは本来、心懐かしい自分の生まれ育ったところ、なはずですが、
これからはきっと、ウサギやフナの棲む数少ない自然が残っている場所というような、
違った意味で捉えられるかもしれませんし、現代版の新しい「ふる里」の曲が誕生するかもしれません。
それがあらゆる地域の都市型発展を示す素晴らしいサインなのか、
自然の少なさにより体験不足な大人が増えていくことを示す不吉なサインなのかはわかりません。
ただ、個人的には、少し悲しい気持ちになります。それをリクツできちんと詳細に言葉で表す事は、
未熟ゆえできませんが、感覚的に何だか、悲しい気持ちになってきてしまうのです。
「自国の民を平気で弾圧している悪辣な権力者、政治家も、問われれば涼しい顔で、
『緑は大切だ』、『動物を保護しよう』、『生命は大切にしよう』と言ってのける。
そういっておいて、金儲けの為なら、平気で毒物を垂れ流して、殺人兵器をどんどん開発し、
製造していきます。
でもぼくがもっと悲しく思うのは、権力者ばかりでなく、
僕らのような普通の市民が案外こんな状態を支えてしまっているような気がするからなのです。」
(手塚治虫著・「ガラスの地球を救え」 より一部抜粋・引用)
もう20年以上の前のエッセイになりますが、今の時代でも十分に響くメッセージに思います。
本当に大切なもの、必要なものは何かをじっくり考えなければならない、
最後のチャンスの時期に立たされているのかもしれません。
もしここで誰もが立ち止まって振り返って考える事ができなければ、今を生きる子ども達の未来を、
先を生きる大人達が奪ってしまう事になるのではないでしょうか。
それは生き物としてのルールに背いた大きな過ちであり、これ以上の
人間の存続が許されないような環境を地球が作り出してしまうかもしれません。
でもそんな環境を作り出してしまったのもまた、人間であるなら、自業自得、なのかもしれません。
いやいやいや、そんな結果にだけは何としてもしたくはありません。
そんな悲しい結果を生む手助けをするために私は生まれてきたんじゃありません。
地球温暖化のメカニズム2
2008 / 07 / 13 ( Sun )
前にも同じタイトルで同じような内容を書きましたが、改めてまた書いて見たくなったのでw
地球温暖化という現象は何故起こるのか。
そのしくみがわからなければ、温暖化がいくら深刻だと言っても、
今ひとつその実感が湧かない、本当に温暖化なのかすら半信半疑になってしまいます。
地球規模の環境問題を知る、という事は、地球のはたらきや、地球の歴史を知る事でもあります。
人間のような小さな生き物の活動がいつしか、繁栄の陰に地球という星のしくみをも脅かすなんて、
とても信じられるものではありません。地球の危機なんて、
宇宙人や怪獣の襲来とか、巨大な隕石とか、仮想世界での出来事でしか起こらないものだと
思ってしまうのですが、現実では、人間が地球の危機を自ら作り出してる、としたら、
人間は何て恐ろしい生き物なのだろう、と思ってしまう事もあります。
繁栄の為によかれと思ってしてきた事が、いつしか滅亡への道に変わってしまっているとしたら。
一体何処で進路を間違えてしまったのでしょう。
地球の温暖化が起こるしくみについて、資料を参考にしながら、自分なりにまとめてみました。
まず、地球の温度について。
昼間は、太陽から放射されるエネルギー(日射)が、
大気を通りぬけて、地球の地表面や、海に辿り着いてそれらを暖めます。
そして、夜になると、逆に昼間日射によって暖められた地表面や海水から、赤外線が放射され、
その熱放射は、地球の外の宇宙に放射されます。
こういった地球と宇宙との、熱の収支のバランスがとれていたので、
地球の安定した温度も保たれてきました。
次に、人間活動との関係について。
人間活動は、石油・石炭といった化石燃料に依存して行われるようになります。
化石燃料は、長い年月を経て作られた、分解しきれず地中に固定された有機物です。
その有機物を地中から取り出し、燃料として消費すると、分解されて二酸化炭素となって、
大気中に戻ります。化石燃料の消費が激しくなればなるほど、
大気中の二酸化炭素は増えていきます。
大気中の二酸化炭素を大量に取り込んでくれる大規模な森林も、次々と資源利用や土地開発の為に、
次々と伐採されていきます。
二酸化炭素だけでなく、メタンガス、フロンガスといった温室効果ガスも、
化石燃料依存型の人間活動によって、どんどん大気に増加していきます。
これらの温室効果ガスは、熱を吸収する性質があるようです。
つまり、温室効果ガスが大量に大気に存在することで、
太陽放射による、宇宙と地球の間で行われる熱収支を妨げる事になります。
昼間、太陽から地球へ放射された熱が、夜、赤外線として宇宙に向かって放出されるとき、
大気中の温室効果ガスがその熱を吸収してしまい、熱は宇宙にまで放出されず、
地球の大気内に吸収されて篭ってしまう。つまり、温室効果が起こるのです。
化石燃料の消費で大気中の温室効果ガスが増え続け、太陽から受けた熱が
宇宙に放出されないで、大気中のガスに吸収され続ける、
そんな毎日を繰り返していけば、大気中のガスによって地球の温室効果、
つまり温暖化が起こる事については理解できるのではないかと思います。
だからこそ、人間の活動による二酸化炭素はじめとした温室効果ガスを、
これ以上増やしてはならない、と地球規模で呼びかけているのです。
地球が暖められた地表や海の熱を外に放射しようとするも、
大気止まりで宇宙にまで放出することができず、苦しんでいるのです。
地球の温度を様々な生き物が健康に生活出来る温度に保ってくれたり、
二酸化炭素を取り込んで酸素を作り出してくれる植物や樹木も、
どんどん人間活動によって失われていき、そこに暮らす生き物達も棲み場を奪われ、
種の滅亡にまで追いやられ、そんな不幸の歴史が見えない陰に重ねられながら、
今の私達の社会経済が成り立っているとすれば・・・。
このままでいいはずがありません、よね。
人間によって失われた樹木や植物が生い茂っていた自然を、
生態系として機能できるまでに修復・再生しなければならないし、
残された自然を生態系ごと維持、保護していかなければならないし、
大気中にこれ以上温室効果ガスを放出してはいけないし、
オゾン層を破壊するフロンガスはこれ以上絶対に出してはいけない。
そして、今までの化石燃料依存型の人間活動を、何とか改めなければならない。
もし地球温暖化のメカニズムが正しいものであるなら、
このような今後のあり方は誰にでも自然と浮かんでくるはずです。
後先も考えないで、目の前の、自己の利益に捉われてばかりの行動が、
自分の子孫も含めた、生命の未来を益々不幸にするのではないかと思います。
今となっては数少ない、まだ力の弱い子ども達が、
希望の未来を担って力強く生きていけるようにするには、
大人達が子ども達の未来を守るために、命のバトンを受け渡すために、
環境改善に向けた行動を正しくとっていかなければならないと思います。
子ども達の未来は、今の大人がどれだけ正しい行動ができるかにかかっている、とも思えます。
環境に優しいコンテナ
2008 / 07 / 10 ( Thu )
駅のホームで電車を待っているときに、
コンテナの貨物列車が止まっていましたが、その貨物のコンテナにはどれにも、
「環境に優しいコンテナ」と書かれていました。
いやどう見てもコンテナのあちこちはサビまくっているし、古そうだし、
お世辞にも環境に優しそうなコンテナには見えないボロさだなぁ、というのが第一印象です。
多分コンテナ自体ではなく、コンテナでの輸送が環境に優しいんだという意味だと思われますが、
こういった書き方は語弊を招くかもしれません。言葉の捉え方は人それぞれで、
正しく捉えられる人もいれば、違った捉え方をする人もいるでしょうし、
それが間違った行動や流行を生むことにもつながりかねません。
その後貨物が動き出し、後部の車両のコンテナには、「環境に優しいコンテナ輸送」と
書かれていたので、あ、やっぱりそうか、と(笑)
まぁ、確かに航空機や船やトラック輸送に比べれば、燃料面、排気面では
環境への影響は少ないでしょうね。
コスト面はよくわかりませんが・・。
できれば、コンテナ自体も環境配慮型の素材やペイントにしてもらえたらと(笑)
さらに、輸送するモノも環境に優しいものばかりであれば尚良し、ですね^^